会田誠の講座訴訟から「表現の自由」と「セクハラ」に関する議論が盛り上がり中。

会田誠


こんにちは、管理人です。

会田誠さんが行なった講義がセクハラになるとして大原直美さんが大学を訴えた問題について、手塚治虫さんの娘「手塚るみ子」さんが上述のようにツイートし、話題となっています。

このツイートに対して「誰も傷つけない表現」とは何かという議論がツイッター上で繰り広げられており、様々な意見が飛び交っています。

 

 

 

ここで議論の論点になるのが、表現の自由とは何か。セクハラとは何か。ということだと思います。

この二つがどのような基準で定められるものなのか、この機会にしっかり考えるべきだと思いますので、その2点について調べてみたいと思います。

 

 

「表現の自由」とは。

表現の自由は、日本国憲法第21条で認められている国民の権利です。

憲法に定められている項目ですね。その内容は下記の通り。

第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

このサイトもそうですが、人間というのは様々な表現活動をしながら生きているものです。

例えば、舞台上での演技や漫才、日常の発言、作詞、芸術、本の出版など。

その表現活動が制限されることは非常に生活しづらいことになるので、このように憲法で表現の自由が定められています。

 

ただ、これだけ見てもどの範囲までが表現の自由なのかがよくわかりませんよね・・・

それもそのはずで、その範囲についての議論が今回話題になっている内容とも被ってきます。

憲法第21条の表現の自由はプライバシーの権利や肖像権などの権利を侵害してまで保障されるものではないと考えられています。

そのため、今回の性表現のある芸術作品についてであったり、ヘイトスピーチや差別表現については表現の自由の適用範囲なのかと議論が続いているわけですね。

そもそも表現の自由とは少数派の人たちが声を上げる際にその少数派の人たちを守るために存在するものだとも思いますので、会田誠さんのような尖った芸術家の表現が表現の自由の範囲に入らないと判断されてしまうと表現する方達はクローズな世界でしか生きられないようになってしまうのではないかと危惧してしまいます。

 

 

「セクハラ」とは。

セクハラについては1989年に初めてセクハラに関する民事訴訟が起こり、その後1997年に

男女雇用機会均等法で以下のように定義されることになりました。

「職場において、労働者の意に反する性的な言動が行われ、そ
れを拒否したり抵抗したりすることによって解雇、降格、減給などの不利
益を受けることや、性的な言動が行われることで職場の環境が不快なも
のとなったため、労働者の能力の発揮に重大な悪影響が生じること」

 

セクハラという言葉が出てきた当初は職場で上司からされる嫌がらせ行為として注目されてましたね。

その後は職場に限らず、使われる言葉になったと思います。

セクハラというと対面で1対1で話している言葉や身体的な接触が対象となりそうですので、今回の会田誠さんの講義はセクハラという扱いでふさわしいのかが疑問でした。

 

しかし、セクハラにもタイプが色々とあることがわかりました!

今回対象となったのは「環境型セクハラ」でした。

それは発言であったり、ポスターなどで不快な環境を作り上げているために支障を与えるタイプのセクハラです。

大原直美さんは大学側に環境型セクハラに当たるとして訴えていたのです。

大学側はこの環境型セクハラを認めていたのですが、問題を公にしないという示談交渉は決裂してしまったのです。

 

この環境型セクハラを大学側が認めたというのはしょうがない部分ではあるのかもしれませんが、これから尖った表現をする人々を取り上げたり、講義に招く際にはかなり慎重にならざるを得ないですよね。

 

 

 

世間では様々な意見が飛び交う

ツイッター上では様々な意見が飛び交っていますので、

最後にそちらを見ていきたいと思います。

 

 

 

今後もこの問題がどう転んでいくのか引き続き確認したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました^^では!

 

 

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